ミッドセンチュリーと北欧モダンデザイン
スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、そしてデンマーク、これら北欧諸国は、それぞれ独自の文化とともに、共通の現代デザインの流れを育んできました。大胆な形と機能性、そして人間らしい温かみ。この20世紀デザイン史に残る潮流はスカンジナビアン・モダンとして広く知られ、現代日本のライフスタイルにいたるまで、その多大な影響を見ることができます。
現代に通じる北欧デザインの源流を辿ると、20世紀中葉、いわゆる「ミッドセンチュリー」に行き着きます。「ミッドセンチュリー」とは、一般にデザイン史における1940年~60年代の家具や建築などの工業デザインのことを指して言われます。
アメリカから北欧へ
第二次大戦前のデザインの中心地は工業デザインの基礎を築いたバウハウスを擁するベルリンでしたが、バウハウスがヒトラーによって弾圧されるとともに、デザインの最先端はアメリカを中心とした世界へと移ります。
アメリカではフランク・ロイド・ライトの国際的な様式とバウハウスの単純さと有機性を引き継ぎ、チャールズ&レイ・イームズを代表とするデザイナーたちが、合板、プラスチック、金属などを利用した、未来的な素材とスタイリッシュなフォルムをもったデザインが生みだしていくことになります。
このようにアメリカの経済的繁栄の上に花ひらいた「ミッドセンチュリー」ですが、北欧諸国はこの流れとときに関わりながらも独自の文化を基盤としたデザインを発信し続け、一躍世界的な注目を集めることになりました。
北欧モダンデザインの黎明期
北欧モダン初期のデザイナーとしては、曲線を特徴としたデザインで戦前から幅広く活躍していたフィンランドのアルヴァー・アールト(Hugo Alvar Henrik Aalto, 1898-1976)やIittalaブランドとして知られるタピオ・ウィルッカラ(Tapio Wirkkala, 1915-1985)、モダン建築に人間的アプローチをもたらしたスウェーデンのグンナール・アスプルンド(Erik Gunnar Asplund, 1885-1940)などが知られています。
また、デンマークに自然や伝統造形からのリデザインを説いたコーレ・クリント(Kaare Klint, 1888-1954)は、制作・指導の両面で名実共にデンマーク・モダンデザインの基礎を築いた存在として、高い評価を受けています。
伝統技術と近代デザインの融合
これらの先達にもかかわらず、北欧モダンはけっして文化的に恵まれた環境に生まれたという訳ではありませんでした。20世紀の初頭より、世界産業の中心を担いつつあるアメリカと対照的に、ヨーロッパの中心から離れ、厳しく広大な自然に囲まれた北欧諸国は、工業化や都市化において他のヨーロッパ諸国に後れをとっていました。
戦争の影に色濃く覆われていくなか、疲弊する経済、慢性的な材料不足から、北欧の若くて有望なアーティストやデザイナーたちは、より明るくて、より合理的なデザインを追求していきます。彼らはアールトらによって切り開かれた近代的なデザインを、古い家具、陶器、機織り、ガラス吹きなどの古い技術を用いて生み出していきます。
戦時中のスカンジナビアン・デザイナーが手に入れることができた材料、つまり、オークや樺、粘土やリネンなど、北欧諸国が太古から共生し続けてきた自然な材料を用いて、彼らは自らの生活する納屋や家で制作をはじめました。
大戦が終わる頃には、普遍的でシンプルなインダストリアルデザインに、穏やかで心地よさを大切にするライフ・スタイルを取り込んだデザインは、世界に例のない北欧家具独自の様式を形成してきます。
北欧家具には、伝統的な優れた家具や歴史を研究し、身体や暮らしとの合理性から導きだされたフォルムやサイズなどの人間工学や、手作業とともに大胆に用いられた機械加工など、まさに現代デザインの基礎が結実しています。
機能的でミニマルなフォルムのなかに、自然さや温かみを感じされる色や光で彩られた北欧モダン・デザインは、自然環境やライフスタイルにあらためて目を向けつつある現代に相応しい先駆的なデザインだといえるでしょう。
普遍性ある現代デザインの潮流
ハンス・J・ウェグナー(Hans Jørgensen Wegner, 1914-2007)の仕事は、北欧モダンの世界的名声を代表する最たるものでしょう。
ハンス・ウェグナーはコーレ・クリントに学び、伝統的なウィンザーチェアから装飾をはぎ取り普遍的なデザインをもたらした「ピーコック・チェア」(1947)をはじめ、北欧モダンのシンプルさと美を体現した「ザ・チェア」(1949)、世界で最も売れた椅子といわれる「Y-チェア」(1950)など、ウェグナーの制作した500脚以上の椅子の多くは、20世紀のデザインを代表するマスターピースとして世界中の美術館に収められています。
ウェグナーの知己であり、同じくクリントに師事したボーエ・モーエンセン(Børge Mogensen, 1914-1972)は、家具を使う人の視点からデザインし、デンマークの家具デザイナーたちの中でも、もっとも素材の美しさを生かし丈夫で長持ちする家具を生み出しました。
モーエンセンはデザイナーとして名前を取り上げられる機会こそ多くありませんが、彼の作品とその影響は世界中のいたるところに残されています。名声よりも実際の日常生活のなかで使われ続ける家具デザインを追求したデザイナーといえるでしょう。
芸術性の追求とリデザインの思想
ウェグナーらがシンプルで普遍性あるデザインを生み出したとするなら、一方で、芸術的な美しさや面白さを追求した家具としてフィン・ユール(Finn Juhl, 1912-1989)の名前が挙がるでしょう。
『世界で最も美しい肘をもつ椅子』と言われた「イージーチェア」(1945)を起点として、シートやテーブルトップが一見するとフレームの上に浮いているように見えるデザインは、フィン・ユールの美意識とユーモアをもっとも体現したもののひとつといえます。
また、オーレ・ヴァンシャー(Ole Wanscher, 1903-1985)は18世紀中期イギリスに学んだ「コロニアルチェア」(1949)をはじめ、エジプトやギリシャ、アジアの古代の家具を卓越した換骨奪胎とでもいうべき手法でまったく新しいモダン家具を数多く生み出しました。
ヴァンシャーはクリントの後継者として、デンマーク・デザインの継承と、更なる近代化を指導、世界各国の文化に学びリデザインすることによって、北欧モダンの思想をさらにユニバーサルなものに拡張しました。
現代思想の源流としての北欧モダン
スウェーデンではアスプルンドをはじめ建築とインテリアの総合をはかるスウェデッシュ・モダンデザインの潮流が生まれます。ブルーノ・マットソン(Bruno Mathsson, 1907-1988)は1934年の名作チェア「エヴァ」以降、積層成型技術をもちいた曲線を生かした木材加工や様々な素材を組み入れたデザインを数多く生み出します。
なかでもアルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen, 1902-1971)は建築と家具デザインにおいて一貫したコンセプトで、スウェディッシュ・デザインの完成にもっとも大きく寄与しました。
ヤコブセンは世界で最も売れたデザインといわれる「アントチェア」(1952)に続き、従来の北欧家具の枠を超えた、モダンデザインの手本とも言うべき仕事を数多く手がけます。ヤコブセン・デザインの結実というべき「スワンチェア」や「エッグチェア(1958)」ほどモダンデザインを象徴するものは他にないでしょう。
また洗練されたスウェディッシュ・デザインのなかでも、ポール・ケアホルム(Poul Kjærholm, 1929-1980)はひときわ柔軟なスタンスで知られています。
ポール・ケアホルムは金属フレームに皮や藤を組み合わせたユニークな「PK-22」(1955)をはじめ、鉄、アルミニウム、合板、藁、など様々な素材を組み合わせて、固定されたスタイルや既成概念を次々に覆します。それはケアホルムの自由な想像力と北欧モダンのミニマルで機能的なデザイン、そしてシャープで現代的な思想の融合されたものでした。
世界に広がる北欧モダン
1940年代後半から北欧諸国では強力に産業振興策がとられ、ハンス・ウェグナーやフィン・ユールたちがスカンジナビア諸国で家具の販売をはじめたとき、彼らのスタイルは北欧モダンとして、やがて全世界的な注目を集めることになります。
ニューヨークの有名家具店が競って彼らの作品を取り扱うと同時に、世界中の若者やデザイン愛好家たちが、北欧の家具に戦後の新しいライフスタイルを見いだしました。
アメリカでの成功を契機に、デンマークのデザイナーたちが中心となって、北欧モダンの新しいコンセプトを次々に広げていきます。やがて質の高い北欧の家具は欧米を介して日本、そして世界で知られるようになりました。
都市生活に見合ったクリーンでシンプルなライン、そして北欧家具の伝統的な素材と技術は、現在もなお世代を超えた支持を獲得しています。